令和3年12月02日(木)「歌舞伎座2部、男女道成寺、じいさんばあさん、3部、吉野山、信濃路紅葉鬼揃」
歌舞伎座二部と三部を見る。吉右衛門が亡くなったのが伝えられたのは、昨日の夕方で、ショックを持ちながらの観劇であった。
二部は、男女道成寺、じいさんばあさん。娘道成寺の書き換え作品の一つ、男と女が道成寺を踊るという趣向である。勘九郎と尾上右近、勘九郎が女形、右近が立役で行われた。右近の美しさ、奇麗さ、妖艶さが目に付き、勘九郎の女形は、若い頃は女形を経験しているはずなのに、体が固く、踊りに生彩を欠いた。奇麗な方が立役というのが私は疑問だ。普通に考えれば、女形、立役が逆じゃないかと思う。
じいさんばあさんは、何度も見た芝居だが、菊之助、勘九郎と言う役者が、現時点で演じる必要が有るのか疑問に思った。と言うのは、若い役者が、若い時を演じて、それから37年後に再会した時に、老け方を演じるのは、さほど面白い趣向ではない。ベテランの俳優が華のある若い時分を演じて、37年後に再会した時に、自分の実年齢と同じ年齢を、若干老けて演じる方が、歌舞伎らしいと思うのだ。若い役者が、一生懸命老けを演じても、菊之助演じる、るんが、庭から座敷に上がる時に、辛そうに上がるところに笑いが起きる様では駄目だ。花形を超えて、中堅、エースとして活躍する役者が、ふけを演じるのは、面白くない。
3部は、吉野山と信濃路紅葉鬼揃の舞踊2本。舞踊2本で興行するのは、どういう狙いがあるのだろうか、疑問である。
吉野山は、静御前が七之助、佐藤忠信を松緑が演じた。信濃路は、玉三郎が鬼女を演じたが、最初は美しい上臈姿、最後に鬼になって顔に隈を塗りたくり、思い切り顔を歪めて熱演。仲間の鬼女が5人出て来て、若手花形が演じたが、五人束になっても、美しさで、玉三郎を上回れない。玉三郎の美貌が衰えないのは現代の奇跡で、まさに眼福で私は幸せであるが、歌舞伎の将来を考えると、絶望的な思いになる。
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