令和3年8月6日(金) 『歌舞伎座8月、2部、3部を見る。2部真景累ケ淵、仇ゆめ、3部義賢最期、伊達競曲輪鞘当』
歌舞伎座の二部、三部を連続で見た。疲れた。若手花形が頑張っているので、見る方も頑張って観る。
第二部は、真景累ケ淵、仇ゆめの二本。真景累ケ淵では、富本節の師匠豊志賀と弟子新吉は、20歳も歳が離れているが、師匠、弟子の関係を超えて、肉体関係を結んでいる設定である。豊志賀が、伝染病で、右の目の辺りが、まるでお岩さんの様に膨れて、醜くなっている。新吉は、まだ20歳の若者で、お久という若い弟子とできている。病で寝込む豊志賀を、新吉は看病するのだが、豊志賀は、新吉とお久との関係を疑い、病の苦しさが自分を襲い、生死の境にいるのに、いるはずの新吉は、お久としけこんで家にいない。豊志賀は、新吉への恨みを燃やしながら、新吉を恨んで悶死する。この豊志賀が、新吉の前に、化けて出るという怪談話である。怪談話なのに、場内は、時折笑いもでてくる、怪談なのに、不思議だと思った。先代芝翫が豊志賀を演じた時には、怖さが先にあり、笑いはなかったように記憶している。豊志賀の設定年齢は、39歳。新吉は20歳なので、およそ20歳、親子ほど歳が離れたカップルである。今の時代では、援助交際が成立する歳の差だ。豊志賀を演じた七之助は、顔の半分が美しく、逆側が醜く腫れている、ひとつの顔に美と醜が同居していて、恐ろしかった。更に怖いのは、七之助の声だ。低く低音を聞かせて、疑いに満ちた声が、一番怖かった。新吉を演じた鶴松には、若さの色気があり、幽霊が出て、怖がるところを、多少コミカルさも出しながら、演じていて、成長を感じた。でもまだ鶴松は、子供っぽく見え、師匠と、年下の弟子と二股で遊んでいる男には、見えなかった。勘九郎が、噺家さん蝶を演じて、鶴松に目を光らせていた。
二つ目が舞踊劇、仇ゆめ。狸が、花魁を好きになり,舞の師匠に化けて会いに行き、好きだと言うと、花魁も好きだとなり、幸せな状態になるが、本物の踊りの師匠が登場すると、化けの皮がはがれ、袋叩きになり、それでも最後は、花魁の膝の上で死ぬという舞踊劇だ。狸を勘九郎、花魁を七之助、ほのぼのとした馬鹿馬鹿しい物語だが、兄弟だからできる阿吽の呼吸で、楽しく見た。狐手はあるが、同じようにして狸手があるのが、おかしかった。
第三部は、義賢最期、伊達競曲輪鞘当の二本。義賢最期は、仁左衛門の当たり役で、愛之助が、仁左衛門の指導で何回か演じているが、幸四郎にとっては、初役で挑んだ舞台だった。男らしい、きっぱりとした義賢だったと思う。立ち廻りは、最後まで力強く、戸板倒し、仏倒れも奇麗に決まった。義賢の立ち廻りは、武家の礼服である長い袴を着けて、大変な動きだと思うが、奇麗に動いていて、勇壮さと威厳を最後まで保っていた。
伊達競曲輪鞘当は、何回も見ているが、その度、この芝居はどこがおもしろいのかよく分からない。多分歌舞伎界のトップスターが共演するから観客の興味を引くのだと思う。歌昇と隼人では、役者としての魅力がピークになっていないので、予想通り、私には、興味が湧かなかった。三社祭は、踊りに振りの詰まった踊りなので、染五郎,團子の、しなやかで、元気で、若さがあふれていて、楽しく見た。
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