令和3年5月20日(木) 『歌舞伎座5月大歌舞伎1部、三人吉三巴白浪、土蜘。2部、仮名手本忠臣蔵、道行旅路の花聟、六段目与市兵衛内勘平腹切りの場』

歌舞伎座の1部は、三人吉三巴白浪と、土蜘の二本立て。興味があるのは、12月国立劇場で、解説を担当した三人吉三だ。花形役者である尾上右近がお嬢吉三、隼人がお坊吉三、巳之助が和尚吉三に挑んだ舞台。令和の三人吉三である。右近のお譲吉三がとてもよかった。右近はもともと美形の顔立ちで、女形では、大変奇麗な役を演じるが、太々しい顔が素顔にはあり、何処か伝法な雰囲気がある役者である。その右近が女に化けた盗人を演じたのだが、太々しさが、いかにも現代にもいて、江戸時代にも多分生きていただろう不良少年そのままに見えて、いささか驚いた。花道で、おとせに声をかけて道を尋ねるくだりに、辺りを伺う目の視線の強さ、お譲吉三を演じる多くの役者は、声だけで女から男、男から女に演じ分けるが、右近は、声の前に、視線、口の形、顔の表情で、すでに切り替えているのである。心の中が、言葉が出る前に、男になって、太々しさが表情に出ているのだ。この演じ方は新しいと思った。太々しさを持った唯一の女形、右近は素晴らしい。有名な、「月も朧に白魚の、篝も霞む春の空」のセリフも、周りを気にすることなく、堂々と、一気に言っている。黒い友禅入りの振袖を着て、なりは金持ちの商家の娘姿だが、不良少年の独りがたりで、すかっとした明快なセリフ術で、聞いていて、大変気持ち良くなった。隼人のお坊吉三は、絵的には、役そのものだが、陰影に薄く、セリフも硬いと思った。巳之助のお坊吉三は、歳が離れた先輩と言うより、歳が近いリーダーのような存在で、3人が義兄弟になるのが普通に思えた。年齢が余り離れていては、義兄弟でもないだろう。この3人が切り合いの中で巡り合った瞬間に、義兄弟になるという芝居上の出来事が、まるで嘘ではなく、本当にそうなりそううに見えたので、これはお手柄だろう。

土蜘は、猿之助が頼光に回り、土蜘蛛は松緑。私的には逆を観たいが、松竹の決めることだから、観客は何も言えない。迫力があり、不気味な松緑の土蜘蛛だった。土蜘の様な、おどろおどろしいメイクは、松緑に会っていて、演技に勢いがあって、力強かった。

二部も続けて観た。仮名手本忠臣蔵の道行旅路の花聟、そして六段目与市兵衛内勘平腹切りの場だった。道行旅路の花聟は、勘平を錦之助、お軽を梅枝。浅黄幕が落ちると、舞台中央に二人がいるという演出だが、錦之助の勘平は、その表情で、絶望的な状況に追い込まれていて、悔悟の念、生きる不安、自殺願望を、ないまぜにした、何処か呆けて、視線が弱く、ぼっとした気持ちを見せていて、いいなと思った。梅枝のお軽は、奇麗で、かいがいしいが、結構能天気で、自分勝手な部分を、さりげなく出していて、これもいいと思った。

勘平腹切りの場の勘平は菊五郎の持ち役で、さりげなく演じながら、もしかして義父を殺したのは、自分かと思い始めてからの、恐怖、絶望感、いたたまれなさが、徐々に高まっていき、ついには腹を切るまでの心の変化がよくわかり、いい芝居だと思った。腹を切ってから、義父を殺したのは、鉄砲玉ではなく、刺し傷によるものだと分かり、犯人は自分ではないと分かるのだが、時すでに遅く、無念の最期を迎え、観客に可哀そうにと思わせて死んでいく。本当は、主君が切腹した時に、情事に耽り、間に合わなかった責任を取って、死ぬべきなのに、お軽の言葉に誘われて、狩人として生活を始めたが、やはり死ぬ運命だったのだが、やはり最期は悲惨な死に様である。