令和3年3月4日(木) 「歌舞伎座、三月大歌舞伎、二部。熊谷陣屋と、雪暮夜入谷畦道、直侍」
今日が初日だった。仁左衛門の熊谷陣屋は、去年南座の顔見世でかかったから、安定した芝居が期待できるし、直侍は菊五郎の当たり役で、三千歳が時蔵、弥陀六が歌六、丈賀は東蔵なので、いつもの人がいつもの役を演じるので、初日でも、全く問題がないと踏んでの初日観劇だった。さすがベテランの役者が演じるので、安定した演技で楽しかった。
仁左衛門の実盛は、もう5度見ていて、当たり役である。花道から数珠を片手に実盛が入るが、敦盛の代わりに、実子の小次郎の首を討ち、敦盛の墓、実は我が子の墓参りをしての帰り道である。一歩一歩、悲しさを押し殺すような、沈痛な足取りで、わが子を殺した武士の哀しさを 背中で表していた。芝居を通して、仁左衛門の実盛は、悲しさは、徹底して押し殺して、武士としての誇り、役割を十全に果たしたという責任感を前面に押し出していたと思う。敦盛の首を討った戦物語も、堂々として、武士として当然の事をしたのだという見せ方をしている。こうした演技を、完全に果たさなければ、味方とは言え、周りには梶原平三景時のような者もいるので、油断が出来ないのである。首実検の場面でも、一枝を伐ったなら指一本を剪る、と謎をかけた義経に、平然と首を見せ、義経もこれに答えて、さも敦盛の首である演技をする。この辺りを、淡々と演じるので、味方が騙されるのだと覆う。最後花道を僧の姿で帰るが、ここにきて、一気に、武士の親、という裃を脱いで、親の立場で哀しさを見せて、切なかった。実盛にとっては、敦盛はただの平家の公達の一人ではなく、かつて実盛が使えた、藤の方の息子で、父親は後白河法皇だった。妻になる相模と不義を結び、死なねばならないところを、藤の方に命を助けてもらっていたのだ。実盛夫婦にとっては命の恩人だったのである。更に、義経にとっては、平治の乱の際捉えられ、首を討たれるところを、敦盛の母、池の禅尼によって助命された命の恩人で、敦盛はその息子で、殺すわけにはいかないのである。最後僧になって花道を歩む、実盛には、この二つの面の重荷が武士としての自分に降りかかってきた運命のいたずらに、武士として運命に従いはしたが、小次郎の親、父としては大きな悲しみをもつという、この二つが花道の引っ込みに強く出たと思う。
「一枝を伐ったなら指一本を剪る」、と言う高札が、何を意味しているのか分からないので、イヤホンガイドは、細かに説明しないと駄目だ。
続いては、雪暮夜入谷畦道。直侍は、吉右衛門、仁左衛門、三津五郎、菊之助、海老蔵、白鴎橋之助、團十郎、梅玉、橋之助で観たが、菊五郎の直次郎が、やはり一番嵌っていて、この役は、菊五郎が生きている間は、菊五郎の持ち役だろう。御家人崩れの優男だが、悪事を重ね、追われているという役回り。悪人には見せず、粋な町人となりきって、用心ぶかく、淡々と芝居をする。無理に役を演じるのではなく、多分江戸末期には、こんな侍とも町民とも思えない人がいたんだろうなと自然に見せてくれる。もう役を演じている感覚は、菊五郎には、ないのかもしれない。黙阿弥が描く悪党には、根っからの悪人はいない。追われているのに、よりによって愛人の三千歳に会いに行く、愛に生きる悪人である。
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