1月4日(土) 「浅草歌舞伎午後の部。絵本太功記、尼ケ崎閑居の場。仮名手本忠臣蔵、祇園一力茶屋の場。」

浅草歌舞伎の午後の部を見に行く。絵本太功記、尼ケ崎閑居の場。仮名手本忠臣蔵、祇園一力茶屋の場の二本立て。

絵本太功記は、今年のNHKの大河ドラマに当て込んで選ばれたのだろうか。織田信長を謀反で殺した明智光秀の叛逆物語。歌舞伎では明智光秀は武智光秀に名前が変わるが、謀反で信長を殺したものの、真柴秀吉の反撃を受け、苦境に立たされ、破滅に向かう武智光秀一家の悲劇を描いた物語だ。

寛政11年7月豊竹座で上演された人形浄瑠璃から移された時代狂言で、特に尼ケ崎閑居の場は、よく出る幕だ。別名太十(たいじゅう)とも呼ばれている。天正10年6月1日から13日まで、日を追って書いてあるのが特色で、浄瑠璃では、三段目とか四段目という代わりに、三日の段、四日の段といい、尼ケ崎閑居の場は、十日の段と言うことになり、略して太十と呼ばれている。

尼崎閑居の場は、結構上演回数が多い芝居で、何故多いのか考えてみたが、主役の光秀は座頭クラスの役者が演じ、妻の操を立女形、子供十次郎を花形、許婚の初菊を若女形、母皐月を老け役と、座組みの役者に役を振り分けやすいからだと思う。若手花形が揃う浅草歌舞伎には、役のそれぞれに見せ場があるので、役を振り分けやすく好都合なわけだ。今回は普段なら座頭が勤める光秀を中村歌昇、妻を阪東新吾、十次郎を中村隼人、許嫁の初菊は米吉、母を梅花が演じた。真柴秀吉は中村錦之助だった。時代物狂言の大物に、花形役者が、体当たるし、舞台で、どんな活躍をするか注目して観た。

十次郎を中村隼人、許嫁の初菊は米吉が演じた。死を決意した十次郎と初菊、美しい二人の結婚と別れが涙を誘った。悲劇には美しい役者がハマり、涙を誘う。隼人、米吉共に、美形の二人だが、隼人はテレビの時代劇だと端正な美しい顔を見せるのに、歌舞伎のメイクをすると、さほど綺麗でなくなるのは、何故なんだろう。このところいつも疑問に思う点だ。掘りの深い顔より、平らで、顔を描きやすい方が、綺麗になるのかもしれない。十次郎は、死にたくないのに、親の都合で死ななければならない辛さ、悔しさがベースにあるので、重く演じているのだろうが、隼人の演技は、沈痛で、固いと思った。米吉も可愛いが、泣き崩れるだけが印象に残った。顎の下のたるみをなくさないと、美しさは半減だ。兜を、振袖の袖に置いて、奥まで引くシーンは、重たくみせようとするのはわかるが、ちょっと重たく見せすぎだ。

主役の光秀に話しを移そう。恨み重なる主君を、謀反を起こし殺したものの、思うように味方を集められず、秀吉の素早い反撃を受け、極めて厳しい状況、そして心の葛藤を、藪から出て来るだけで表わさないといけない難しい役だ。出の門口の見得、そして母を誤って刺し殺し、息子十次郎の死で、情に詰まって大泣きする大落しが見せ場で、ここを若い歌昇がどう演じるか注目した。歌昇は、最近珍しく顔のデカい、三頭身の役者(すいません本当は五頭身か)で、眉間に描かれた信長に打たれた傷、藍で描かれた痩せ隈が、大きな顔に良く似合っていて、出の門口の見得はいかにも光秀らしく、形が良かった。ただ大落しまでの段取りは、多分吉右衛門に教わった通りに演じていたと思う。

光秀が登場し、秀吉が家に侵入していると知り、竹藪の竹を切り落として竹槍を作り、部屋ものぞかず、障子越に突き立てると、刺したのは秀吉ではなく実の母の皐月だったという悲劇。光秀は謀反に反対した実の母を誤って殺してしまうのだ。息子十次郎は初陣だが、瀕死の重傷を負い、閑居に戻り死ぬが、瀕死の重症を追いながら、十次郎は父光秀を逆賊と表現してしまう。母も、子も,信長への謀反には反対だったのだ。光秀は、自分の思いで謀反を起こし信長を殺したことで、謀反に反対していた母と息子十次郎を失ってしまうという情の爆発が、歌昇には、いま一つ感じられなかった。歌昇は、まだ若すぎて、自分が起こしたアクションから波及する一家の悲劇を、多分あらかじめ予測していたのだろうが、現実に起きてしまった事への、自分なりの覚悟がどうだったのか、仕方がなかったのか、こんなはずではなかったのか、どういうスタンスをとるか、はっきりと表現できていなかったように思う。でも堂々と光秀を演じ、これからに期待したいと思う。

仮名手本忠臣蔵、祇園一力茶屋は、私が大ファンの松也が大星由良之助を演じるので、今年の正月で一番楽しみにしていた舞台である。絵本太功記、尼ケ崎閑居の場の光秀を座頭が演じるのと同じで、座頭クラスが演じる大星由良之助を35歳の松也が、どう演じるか、注目して見た。寺岡平右衛門を巳之助,お軽を米吉が演じた。

松也は、大星由良之助の重圧感をだそうと考えての演技を心がけていたように思う。この幕の大星由良之助は、心の内と外見の二つの顔、つまり赤穂浪士のリーダーとして着実に復讐に燃え、動き出している心の顔と、敵の目をくらまそうと遊び惚けている外側の顔の二つを表現しないといけないので、非常に難しい役である。松也は、そこに果敢に挑戦していて、良かったと思うが、役の重さを出そうとするあまり、逆に遊びの顔が、遊んでいるようには見えなかったのが残念だった。酔っている演技をしていても、酔っているようには見えなかった。一力茶屋で遊ぶシーンは、徹底的に遊ぶ気持ちで演技していないと、心の顔が、最後に顔を出した時に落差が出ないと思った。でも由良之助の鷹揚とした雰囲気は良く掴んでいて、この先楽しみである。

この幕で一番光ったのは、巳之助の平右衛門だった。なんとしても浪士の仲間に入って主君の仇を打ちたいと言う強い心が、台詞に強烈に出ていて、健気だと思った。声の使い方もうまく、後半の妹お軽との絡みも、ベースに妹への愛情を感じる事が出来た。巳之助は、父三津五郎に、顔は良く似ていないが、声の遺伝子を受けついでいて、演技力は父譲りだと思った。歌舞伎座の舞台でも、近い将来平右衛門を演じる実力があると感じた。米吉は、垂目で可愛いくて、メイクをすると美しくなるが、まだ正直に言って子供っぽい。お軽は、子供ではない。元は浅野家の女中で、昼間から大好きな勘平を誘い、今のラブホテルのような場所でセックス三昧をする好色な女で、勘平の人生を狂わせた魔性の女で、自分と勘平、二人の関係だけが一番大切だと思っている、自己中な、周りが見えない女なのだ。可愛いだけで勤まる役ではない。まだまだだなと思った。座組の中に坂東新伍がいるのだから、お軽をやらせればいいのにとも思ったのだが、それでは妻の操役がいなくなるか。