12月26日(木)「12月歌舞伎座昼の部。たぬき。村松風二人汐汲。壇浦兜軍記、阿古屋」
歌舞伎座の12月大歌舞伎の昼の部に行く。たぬき、村松風二人汐汲(むらのまつかぜににんしおくみ),壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)阿古屋の3本。
たぬきは、大佛次郎原作の新作歌舞伎であるが、これまで團十郎、三津五郎で見たが、中車の金兵衛は、人間描写が優れていて、第二の人生を夢見たものの、愛する者に裏切られ、人間不信に陥入り、絶望感に包まれる過程がリアルで、良かった。
舞台は、幕末の江戸。婿の柏屋金兵衛は、家業は順調に守りながら、うるさい女房に嫌気がさし、20歳のお染を妾にして、囲っている。その金兵衛が流行のコレラで死に、深川十万坪に仮に作られた火葬場で、盛大な葬式が行われたが、実は金兵衛は死んではおらず、息を吹き返し、早桶から這い出してくる。隠亡の多吉は驚くが、金兵衛は、十両の金を払うので、生き返った事を秘密にしてもらう。金兵衛は、あくまで自分は死んだ事にして、新たな人生を歩もうと決断する。妾のお染と所帯を持ち、家業を忘れて、楽しい生活を夢見て、妾のお染を訪ねるが、お染は、旦那である自分が死んだ葬儀の日なのに、愛人を早くも家に引き入れ、仲睦ましい所を見せている。これにショックを受けた金兵衛は、お染の家に置いていた金400両を元手に、神奈川に出て、新たな商売を始め成功する。名前も甲州屋長蔵と名乗り、3年後、芝居見物で、江戸に出て、かつて住んだ街にやってくる。家業を捨て、妻を捨て、子を捨てて、、新しい人生を歩む金兵衛だが、妾には裏切られ、人間不信はどうする事も出来ない。かつて住んだ家が懐かしくなり、近所まで来ると、丁度、我が子が、自分の前を通って行く。すると、息子は、「ちゃんだ、ちゃんだ」と自分を振り向いて、繰り返し叫ぶ。女中は、お父さんは遠い所に行ってしまったと言い、息子と花道を下がる。自分を慕って、ちゃんと叫び続けている我が子を見て、新しく夢見た生活は虚の生活、やはり元の自分に戻り、現実の生活に向き合おうと改心する事を決意し、実は3年前に、死んではいなかったのだと告げに、家に帰ろうとするところで、芝居は終わる。死んだ人間が、3年ぶりに生きて戻ってきたら、自宅でどんな揉め事が起こるかと思うが、そこは描かれない。
ただ、この物語,死んだはずなのに実は生きていたと言う人情喜劇なのか、死んで生き返り今までとは違う新たな人生を歩もうとしたが、やはり自分の人生に素直に向き合い改心して出直す物語なのか、この点がよく分からなかった。私は人情喜劇と理解したが、金兵衛以外に出てくる役者が、らしく演じておらず、空回りしていて、舞台を盛り上げられず、さほど面白くはなかった。松竹新喜劇で、かつての藤山寛美が金兵衛を演じたら、人情喜劇として、息の合った俳優たちと笑わせ、泣かせてくれたと思う。今回の舞台、彦三郎の太鼓持ち蝶作が、太鼓持ちらしくなく、門之助の商家の妻もつんつんしているだけだし、ベテランの芸者お駒は色気もないし、貫禄もない。囲われ者のお染も色気はあっても厭らしさがなく、隠亡の多吉もまるで人のいい老人で、長い間、桐ケ谷の火葬場で働いて来た胡散臭さがゼロで、金兵衛一人頑張ってはいても、舞台全体がかみ合わず、喜劇のハーモニーを感じられなかった。
村松風二人汐汲(むらのまつかぜににんしおくみ),梅枝と児太郎が汐汲みに扮して踊る。振り袖姿の二人は、腰蓑だけが海女の雰囲気ではあるが、ひたすら美しく踊る。
壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)阿古屋は、ちょうど一年前に玉三郎と、梅枝、児太郎が交互に出演したが、去年は、メインは玉三郎で、梅枝と児太郎は,四回演じただけだったが、今回は、三人が分け合っての出演となっている。今日は玉三郎の阿古屋の日だった。阿古屋は、歌右衛門から玉三郎に引き継がれ、玉三郎から梅枝、児太郎へと引き継がれると言う事だろう。玉三郎の、美しく、貫禄があり、凛とした演技と演奏にうっとりとしながら、時間が過ぎた。
令和2年1月2日(木)「初芝居、歌舞伎座寿初春大歌舞伎昼の部、義経腰越状、五斗三番叟。連獅子。鰯賣戀曳網。
毎年恒例の初芝居に行く。着物姿が正月らしく、何時もより多く、特に男性の着物姿も目立った。初春大歌舞伎の夜の部を見に行った。演目は、義経腰越状、五斗三番叟。連獅子。鰯賣戀曳網。の三本。
義経腰越状は、明和7年1770年に初演された人形浄瑠璃で、その三段目の口に当たる五斗三番叟が今日の最初の演目と言われている。タイトルに義経とついているが、義経記とは関係なく、大坂夏の陣を描いた舞台だ。頼朝を家康、義経を秀頼に見立て、主役の五斗兵衛は、武将の後藤又兵衛である。五斗兵衛は大酒呑みと言う設定で、苗字が五斗というのだから洒落ている。
又兵衛の出る前、三段目の初めに雀踊りを相手に、派手な立ち回りを見せる亀井を猿之助が演じた。猿之助の所作ダテは、きっぱりとして、形が良く、綺麗だ。紫ちりめんの頬かぶり、りりしい、むき身の隈で、目の朱も映えて綺麗に決まり、儲け役。重成を模しているから美形の侍に化け、雀踊りの奴との立ち回りも猿之助は素晴らしい、まさに儲け役。
五斗兵衛は白鷗が初役で挑んだ。仕官を求める五斗兵衛に酒を飲ませ、酔っ払わせて、挙句に三番叟を躍らせるのが、この芝居の眼目だ。
五斗兵衛は、刀の目貫師にやつして登場、義経の忠臣泉三郎が軍師として迎え入れようとしています。兵衛は秀頼に仕えようと挨拶に来るのですが、佞臣たちが酒を飲ませ、就職を失敗させようと企みます。まずは、佞臣達に酒を勧められ、当初は断るのだが、酒好きなので断り切れず、つい一口酒を飲むと止まらなくなり、酒を飲み続けてしまいます。ドンドン酒を注がれ、飲み始めたら止まらない。この深酒の過程と、酔いっぷりを楽しむのが眼目。
五斗兵衛を白鷗が初役で勤めたが、断固として酒を断るあたりから、酒を進められ、断り切れず、酒を飲み進め、酔っ払っていく過程が、素直に面白かった。酒に酔う芝居と言うと、魚屋宗五郎を思い出すが、そちらは町人、こちらは、目貫師にやつしてはいても侍である。どう酒に酔っていくか楽しみに見た。白鷗が演じた宗五郎は、何度か見たが、白鷗は時代物の役者なので、まるで魚売りの町人には見えず、酔う過程が、計算され過ぎて、酒乱になる雰囲気に欠けると思っていたが、今回は、軍師を任されるほどの武士が、酒に酔う芝居である。堅物のイメージで出るが、酒を呑むと当初の固さが次第に緩み、調子に乗り、大酒のみらしく、豪快に酒を飲んでいくあたりが、可笑しみを合わせ、自然に見えて、楽しかった。
後半は酔っぱらった五斗兵衛に三番叟を躍らせるのが眼目となる。江戸時代に流行した見立てと言う、しゃれっ気を見せないといけないのだが、煙草入れを剣先烏帽子に見たてたり、肩衣が素襖になり、奴を馬にして、角樽を馬の顔に見立てた演出だが、面白かった。酔っ払って三番叟を舞う所も、酔っ払いが踊るようで楽しかった。滝呑み、が出てきたが、大杯に両側から酒を滝のように注ぎ込み、その酒をどんどん呑んでいくのだが、本当に滝呑みなんてあるかどうかは知らないが、こんな呑み方も豪傑には相応しいと思った。
連獅子は、猿之助と團子、叔父と甥が連獅子を踊る。全体的にきっぱりとしていて、躍動感あふれる連獅子だった。猿之助の子獅子は、何度も見たが、親獅子は初の舞台。でも、親子の情愛、特に子を崖に突き落とした後、中々上ってこないので心配しているあたりの親子の情愛をうまく出していた。團子は大きくなったな、とまず思った。背は猿之助を超えた。成長期にあるエネルギーを体一杯に漲らせて、気持ち良く舞っているように思えた。猿之助と言う役者は、様々な引出しを持っていて、どの引き出しを取り出しても、きっちりと見せてくれる。猿之助は、現在一番安定感のある中堅役者で、近い将来、必ず歌舞伎界をリードしていく役者になると思う。
鰯賣戀曳網は、三島由紀夫が作った歌舞伎演目で、度々演じられるが、目に焼き付いているのが、十八代勘三郎と、玉三郎の舞台だ。今回は鰯売猿源氏を勘九郎、傾城蛍火を七之助が演じた。勘九郎の台詞術が、父勘三郎に生き写しで、懐かしくて涙が出た。暫らく目を瞑り、台詞を聞いていると、舞台に十八代勘三郎が入るようだった。勘九郎を、涙で潤んだ目で見ていると、台詞だけでなく、舞台上の動き、所作までが、勘三郎に似ていて、舞台で勘三郎が演じている錯覚に陥った。
鰯賣戀曳網は、中村屋の勘九郎、七之助の二人の兄弟が、この先、引き続き演じて行くのだろう。勘九郎にとっては、お父さんそっくりと言われるのは、不本意かもしれないが、舞台に心を残して早世した勘三郎を思い出す舞台を、このまま続けて欲しいと願った。
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