12月02日(月)「歌舞伎座十二月大歌舞伎夜の部,神霊矢口渡、本朝白雪姫譚話」
12月の歌舞伎座夜の部は、神霊矢口渡、本朝白雪姫譚話」の2作品。
神霊矢口渡は、平賀源内が描いた作品で、福内鬼外のペンネームで書いた。長い作品だそうだが、通しで演じられた記憶はなく、私は神霊矢口渡の場面しか見た事がない。梅枝が、渡し守の娘お舟という少女役を演じたが、お舟が、家に一夜の宿を願ってきたイケメンの武士に一目ぼれする処が、みどころである。町娘が、武士の青年を、一目見た瞬間に、恋に落ちる、フォールインラブの物語である。梅枝は、少女の心に一瞬にして芽生えた恋心を、最初は恥じらいながら演じ、そして大胆に恋の冒険に突っ走ってしまうと少女を、感情豊かに表現して、慎み深さを持ちながらも、一途に恋路に突き進む少女を、初々しく演じていた。もうこの役は、梅枝の持ち役と決まったも同然である。松緑が演じた渡し守頓兵衛は、お舟の父だが、赤ッ面の悪者、強面の悪逆非道の役で、松緑は、憎々しく演じていた。松緑は、敵役路線で行く方がハマるように思う。
最後が、本朝白雪姫譚話(ほんちょうしらゆきひめものがたり)、グリム童話を歌舞伎に仕立てた作品である。白雪姫を玉三郎、実の母を児太郎、鏡の役を梅枝が勤めた。
「鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しいのは誰?」、と母は、毎日鏡に問いかける。鏡は勿論本物の鏡ではなく、鏡の役を梅枝が勤める。鏡は、「その通り、世界で一番美しいのはあなたです」、と答え、本人もうっとりとして納得する。白雪姫の母は、自分が世界一の美人であることを誇りに思い、人生を過ごしてきた。自分より美しい存在は許せない性格なのだ。しかし時は流れ、娘が16歳になり、母が同じように鏡に聞くと、鏡は、「あなたの娘が、世界で一番美しい」と話したのだ。母は激怒し、自分より美しく成長した娘を、殺そうとする。筋は、お馴染みのグリム童話の白雪姫、そのままである。
日本人の感性から言えば、自分の娘が自分より美しく育つのは、母としては嬉しい事だと思うのだが、西洋では、自分の娘が、自分より美しくなるのは、許せないものなのだろうか。日本人の私には、理解に苦しむところだが、ディズニーのアニメーション作品では、実の母ではなく、継母となっていた。このあたり西洋人にも、やはり納得できなさそうで、継母と白雪姫との関係に薄めたのであろう。
年齢が70歳を超えても、女形随一美貌を誇る玉三郎が、母役を演じる方が、シニカルで、面白いと思うのだが、やはり玉三郎は16歳の娘白雪姫を演じた。16歳を演じる玉三郎の方が、児太郎や梅枝よりも、圧倒的に美しくて、改めて、玉三郎の美しさを痛感した。猿之助がルフィーと言う少年を演じれば、玉三郎は16歳の白雪姫を演じる。歌舞伎には、底知れない魔法があるように思った。
児太郎が演じる母が、世界で一番美しいのは誰と、鏡に聞き、鏡があなたと答えると、実に満足そうな高慢な笑顔を浮かべ、鏡が、娘の方が世界で一番美しいと言うと、一転激怒して、母の立場を乗り越えて、娘殺しを考え、自らも殺しを実行する。非常に恐ろしい役を、感情のふり幅一杯に熱演していて、良かった。女性の揺れ動く心を少しコミカルに演じていて、楽しかった。児太郎は大熱演、児太郎の役の幅が広がったと思う。梅枝がクールに、鏡の役を演じていた。梅枝の鏡の方が、世界一の美人は誰と聞いてくる児太郎より圧倒的に綺麗で、怜悧に台詞をしゃべり、突き放すような美しさが際立った。
児太郎が、世界で一番の美人は誰?と鏡に聞き、鏡が、あなたが一番美人と言っても、観客には、児太郎がどう見ても、世界一の美人には見えず、16歳の娘白雪姫を演じる玉三郎の方が綺麗に決まっていると、誰もが思う所が、実は一番つまらなかった。
玉三郎が16歳のグリム童話の少女役を演じ、かわいらしい言葉で、16歳らしくみせているが、見ていて、もちろん綺麗だけど、感情の起伏やドラマ性を全く感じない少女を演じ、次第に馬鹿馬鹿しくなって来た。人間国宝が、16歳の白雪姫を演じて、どうするのだろうか。美しい、可愛い白雪姫を演じる私を見て、皆さん美しいと言って、と叫んでいるようで、馬鹿馬鹿しくなってきた。玉三郎には、本物の時代物の女形を、たくさん演じて欲しい。吉右衛門、菊五郎が、これだけ頑張っているのに、女形の至宝玉三郎が、白雪姫では、呆れて、物が言えない。俳優祭レベルの演目で、こんなもの、次回は俳優祭でやって欲しい。私が見たのは、初日だったが、玉三郎が出演しているのに、歌舞伎座は、がらがらだった。観客は、もうわかっているのだ。人間国宝に合わせた役を、是非勤めて欲しいと観客が訴えているように思えた。玉三郎には時代物の女形を演じる責任があると思うし、観客もそれを期待している。
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