6月10日(月)『六月大歌舞伎夜の部、月光露針路日本(つきあかりめざすふるさと)』

歌舞伎座、夜の部を見る。昼の部が、吉右衛門の石切梶原、仁左衛門の封印切が並んで、先日は歌舞伎らしさを楽しんだが、夜は新作歌舞伎である。三谷かぶき「月光露針路日本」(つきあかりめざすふるさと)副題に風雲児たち、とついている。作、演出三谷幸喜だ。三谷歌舞伎は、平成18年、PARCO劇場での「決闘!高田馬場」以来で、歌舞伎座では初めての三谷歌舞伎である。

漂流による冒険譚の新作歌舞伎なので、難しい台詞はなく、ストーリーに破綻はなく、所々に笑いがあり、義太夫を使い歌舞伎らしさを演出し、異国に漂着した人々の心の葛藤があり、スピーディーに展開していくので、途中寝る事もなく、楽しく見た。

光太夫達の物語は、小説にもなっていて、伊勢の廻船の船頭だった大黒屋光太夫ら17人が乗船した船、神昌丸が難破し、極寒の地、ロシア領のアムチトカ島に漂流し、彼らは、原住民とロシア人と接触し、帰国の許しを得るため、どんどんロシアの奥地に入り、最後には、モスクワ近くまで行き、エスカテリーナ女帝に謁見し、なんとか帰国の許しを受け、10年振りに帰国するまでの漂流譚であり、冒険譚である。冒頭松也が出て来て、解説をしたが、この地球規模の大移動冒険譚を、地図を使い説明してもよかったのではないかと思った。

 舞台は17人の遭難者の群集劇で、冒頭、17人のキャラクターを説明するだけで時間がかかり、だらだらした感じがした。遭難した17人は、全員望郷の思いにとらわれていて、全員が生きて故郷に戻るのだと言う思いは共通だったが、日本に帰り着いたのはわすか3人にしか過ぎない。「風雲児たち」の副題がついていたが、勿論原作の漫画のタイトルではあるが、風雲児たちは、何を意味するのか、最後まで分からなかった。

現代に生きる私達が、冒険譚、漂流記に期待するものとは何だろうか。江戸時代の鎖国下の日本、外国に行った事も、外国人を見た事も、日本語以外は知らないであろう伊勢の船乗りたちが、漂流している間どう命をつないだのか、流れ着いた異国の地で、寒さとどう戦うのか、食料や水を確保し、小屋を建て、異国の地に住む住民とどう接触するのか、危険や災難、闘争を乗り越えて、如何生き延びたのかが最大の興味だと思う。更に、危機に面した17人の日本人が、どう協力し、困難に対処していったかが、大きな注目点だと思う。時には日本人同士で争いもあり、病気で亡くなる人も出る中、故郷に帰ると言う強い共通意識を、どう保ち続けたかも焦点になると思う。

舞台を見ていると、異国の地での現住民やロシア人との人間関係作りや、17人の仲間の協力のしあい、この二つの面で、具体的なエピソードがほとんどないので、手に汗を握る場面もなく、冒険譚としては、描き方が不十分だったと思う。どんな冒険があったのか、具体的には何も描かれず、エピソードがない。染五郎が演じる磯吉が、どんどんロシア語を覚えるが、どんな交流の中で、ロシア語を学び覚えたのかも描かれない。難破したロシア船の板を使い、船を建造した話も、言葉だけで終わり、船が建造されるまでの苦労話は描かれず、冒険話、苦労話も具体的には描かれない。これで冒険譚と言えるか、疑問に思った。

漂流から10年かかって、多くが亡くなり、帰国できたのはわずか3人だけで、すぐに1人が死んでしまい、結局2人しか、江戸に到着できなかったのだが、終盤の舞台では、光太夫役の幸四郎、庄蔵役の猿之助、新蔵役の愛之助の3人の乗組員が、身の振り方をどうするかの会話を中心に話が進んだ。ロシア人と結婚し残留を決意した新蔵、凍傷で足を切断し帰国を断念した庄蔵、日本に断固として帰ると、最後まで信念を変えないかった光太夫の三者の心理を中心に話が進み、いよいよ日本に帰れる許可が下りて、日本に帰れる状況が生まれたが、心の本音では帰国したいと思いながらも、三者三様に決断を下すあたり、俊寛の最後に見せた、それぞれの凡夫心を感じさせた。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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