7月29日(日)『七月大歌舞伎、海老蔵奮闘興行、源氏物語』

 歌舞伎座7月大歌舞伎、七月公演を観た。海老蔵の奮闘公演夜の部は、源氏物語だ。

海老蔵が、白塗りの顔に、薄く紅を掃き、少し伏し目にし、口をつぼめて、鷹揚に、甘く囁くように台詞を言うと、平安時代の光源氏が、今そこにいるように感じるのが恐ろしい。そう、本当に、恐ろしい位に、超絶に美しいし、更に天皇の息子と言う気品、高貴さがあるのだ。歌舞伎界のみならず日本の芸能界で、光源氏を演じさせたら、海老蔵に敵う人はいない。観客の多くは、この美しさに見惚れて、感動したと思う。

プロジェクションマッピングで観客を驚かせて、萬次郎が花道七三に座って、紫式部を演じ、甲高い声で、光源氏の生い立ちを話すのだが、不思議に平安の昔に引っ張って行かれるようで、萬次郎の芸の力を感じた。外人が歌う、訳の分からない歌の後に、いよいよ光源氏の登場なのだが、もう歌舞伎座内に、ジワが起きて、観客の期待感が痛いほどわかる。薄目で、しかも首を傾げ、歩くと、光源氏が、今生きてそこにいるように、感じる。眼福の瞬間で、動く芸術品を見ているようだ。一目千両と言う言葉があるが、海老蔵の光源氏を見ただけで、入場料を払っただけの価値を感じた。

はっきり言えば、この芝居、海老蔵の美しさを見たら、それでお仕舞だ。舞台には、闇の精霊、光の精霊と言う外国人の歌手が歌い、能が登場し、プロクションマッピングで、舞台が次々に彩られるが、初見で見ただけでは、これらが、どんな意味合いで、繋がりがあるのか皆目見当がつかない。精霊役の外人さんが歌うが、歌の歌詞が日本語ではないので、何を歌っているのか、全く分からない。筋書きを見て、外人歌手が精霊の役で歌っている事が確認できたが、歌詞が分からなければ、どんなメッセージを送っているのか分からず、不親切である。新国立劇場の様に電光掲示板を設置して、日本語訳を見せなければ、カウンターテナーのていのいいBGM効果で、歌詞の役割が全く分からない。能にしても、源氏物語だから、葵上が演じられているのだろうが、歌舞伎の中で、どんな意味のある役割なのか分からず、見ていて苦労した。三人の能役者が出て、舞った後に、突然、海老蔵が八大龍王を演じ、舞いながら登場し、舞台を踏んで勢いをつけると、観客は、ようやく盛り上がり、宙乗りする時に拍手歓声が沸き起こった。勢いのある宙乗りは迫力を感じた。ただ何で八大龍王なのかは分からなかったが、昼の孫悟空の宙乗りとは大きく異なり、観客から大きな拍手が起きていた。この場面の能役者は、海老蔵扮する八大龍王の引き立て役にしかなっていなかったようにも見えた。何で、歌舞伎の舞台に能が出て来るのか、最後まで分からなかった。

舞台は大詰、須磨に流された光源氏が、京に戻され、太政大臣に出世し、歌舞伎役者の、まるで昔の東映時代劇のような群舞のあと、光源氏が登場し、更に海老蔵の息子勸玄が現れると、舞台は最高潮になった。今日は最終日だったので、カーテンコールが三度もあり、観客は立ち上がり、スタンディングオベーションで寿ぎ、お仕舞になった。

今回の源氏物語、光源氏の闇の部分に、光を当てた構成だったと思うが、光源氏が呟くように、自己の孤独感を訴えるが、他者との関係で闇を描く部分が少なく、その分を、外国人歌手を使っての歌や、能役者を登場させて補ったのであろうが、私は、良く分からなかった。

外国語が堪能で、歌手の歌の内容が、直ぐに分かる人で、更に能の見巧者で、たちまちの上に、能役者が登場する意味合いが分かり、謡の内容が理解できる人には、最高に楽しかったかもしれないが、歌舞伎を30年以上見ているだけの、私の力量では、何の事か分からず、付いていけなかった。光源氏の闇と光にスポットを当てるなら、光源氏の述懐だけではなく、相手があっての芝居をして闇を描いて欲しかったと思う。

何はともあれ、海老蔵演じる光源氏の美しさを見ただけで、私は満足した。大変幸せな時間だったと思う。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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