歌舞伎 『俊寛考』

                                 2018年4月10日

 歌舞伎の俊寛は、平家物語を元に、近松門左衛門が創作した人形浄瑠璃『平家女護ケ島』を、一年後に早くも歌舞伎化したものだ。五段の長編だが、現代では、二段目にあたる舞台、通称俊寛だけが演じられている。江戸時代人の近松が、遠い平安時代の歴史物語を、江戸の庶民の好みに合わせ脚色した訳だから、物語の舞台は平安時代だが、濃厚に江戸時代人の考え方や、関心、どんな所を面白いと考えるのかが、随所に表れているので興味深い。近松の力作であっても、江戸時代では、人気狂言ではなかったというのも、面白い所だ。

 平家物語では、平家転覆の謀が露見して、首謀者は死罪、俊寛、藤原成経、平康頼の3人は流罪となり、鬼界ケ島に流された。その後成経と康頼は赦免されたが、俊寛は清盛の怒りが強く、ただ一人取り残されたと正史には記されている。この時俊寛は37歳の若さだった。平家側から見ると、俊寛は、清盛に引きたてられ、僧都という寺の重要ポストに出世させてもらったにも関わらず、清盛を裏切って、政権転覆を企んだ反逆者であり、大悪人である。歌舞伎の世界なら、国崩しの大悪人と言った所だ。しかし歌舞伎の俊寛は、仁木弾正のような悪の魅力は全くない。逆に登場からして、海岸をふらふらよたよた歩き、一見して弱々しい老人に描かれる。国家転覆を計った中心人物であるのに、悪びれもせず、かと言って威風堂々としてもおらず、おどおどした老人として描かれる。宗教人なのに感情の起伏が激しく、生に執着し、愛に飢え、極めて人間的に描かれている。義太夫では、「大凡夫」、と語られるが、江戸時代の人々は、偉い坊主、陰謀家であっても、裏を返せば、所詮人間なんてこんなものだという、人間観察が、まず表れている処に注目したい。不人気狂言だった理由は、こんなあまりに人間的すぎる老人が主役の舞台は、江戸人の好みに合わなかったのかもしれない。現代では、逆に、あまりに人間的な老人の物語だから、瞬間瞬間の老人の意識の変化が面白いと思われ、人気が高いのかと思う。江戸時代の不人気狂言が、現代では人気狂言となった点が、時代の変化を象徴して面白い。

俊寛には、江戸時代人の反平家、親源氏の考え方が濃厚に表れている。同じ平家でも、重盛,教経はよく書かれ、清盛は、ただでさえ悪人なのに、俊寛の妻の首を刎ねた悪逆非道の大悪人と描かれる。反平家だから、平家の忠臣、瀬尾兼康は、赤面で、見るからに悪人として描かれる。瀬尾からすれば、主人清盛を裏切った俊寛こそ、不忠の大悪人である。俊寛は当初は、赦免のメンバーに入っていないのに、重盛、教経の計らいで赦免のメンバーに加えられた。これは清盛の考え方とは全く違い、不忠だと心の中では思ったであろう。重盛の配慮なので、しぶしぶ従っているのに、俊寛は、呑気に、成経が結婚した島の娘、千鳥まで舟に乗せろと無茶な要求をしてくる。瀬尾は怒りに燃えてくる。なのに、なぜか慈悲をかける同僚の丹左衛門、瀬尾は、怒り狂い、腸が煮え繰りかえり、俊寛達と丹左衛門に名セリフを浴びせる。「慈悲も、情けも,みどもは知らず。たとえ、どいつが、憂いめ辛いめ見ようとも、見ても見ぬふり知らぬふり」。清盛贔屓の私は、忠臣瀬尾のこの言葉に、よくぞ言ってくれた、クーデター犯なのに、甘えるのもいい加減にしろ、と、すかっとして心の中で拍手を送る。江戸時代でも、平家贔屓の人がいただろうから、こう思った人もいたはずだ。が、舞台上の瀬尾は見るからに敵役、観る人の99%は、なんてひどい人、人情や哀れの気持ちが一つもない、慈悲の心が、かけらもない侍と描かれる。江戸時代には、こんな人非人が、周りにきっといたのだろう。後で、ブーメラン効果で、この言葉は瀬尾に帰ってくる。俊寛に瀬尾が切られ、丹左衛門に助けを求めると、同じセリフを、今度は丹左衛門が、鸚鵡返しに言い、観客は、それ見た事かと、観客大拍手、溜飲を下げる。だからこそ、このセリフは、瀬尾を務める役者の、いかにも憎々しいセリフ術がものを言う。亡き富十郎の音吐朗々とした悪役振り、舞台にできた姿がいかにも憎々しかった段四郎が懐かしい。忠と不忠は、裏表、江戸時代にも平家贔屓もいたはずだから、このあたり聞いてみたいものだ。近松門左衛門のセリフの見事さが出ている。

 近松門左衛門は、殺伐とした流人俊寛達の物語に、平家物語には登場しない、千鳥という島娘を登場させ、「愛」というテーマを、加えた。成経と恋仲になり、結婚する話を挿入して、人間のドラマをより深く見せている。俊寛の物語のもう一つのテーマは、男の恋、女の恋だ。流人が島の娘と恋に落ち、セックス三昧の生活をして、結婚するとまで言う。絶海の孤島で生まれた愛は、久し振りだし、忘れかけていた衝動だ。愛に飢えていた流人達は、皆で結婚式を上げようとする。今の時代感覚ではいかにも脳天気な話だと思うが、江戸時代の人は、このエピソードをどう見たのか興味がある。吉原もあり、江戸の各地に岡場所もあり、暗い場所には夜鷹が立って売春していた時代。春画が数多く残るように、江戸時代人は、性を謳歌し、セックスにマイナス思考はなく、生きてある以上は、存分に楽しむものと考えていたに違いないから、流人も、案外うまくやっていると、江戸の観客は、ニンマリしていたかもしれない。

 ささやかな結婚式の喜びの途中、船を見つけた俊寛は、赦免舟だと叫び、これで都に帰れると、愛妻に再び会えると、自分の愛を再確認して、コミカルな位、大喜びするが、愛妻が、清盛に首を切られたと聞くと、愛の対象が消え果て、その瞬間に、望郷の念も消える。「夫婦の仲も、恋同然」だったのに、恋を失い、女房のいない都に帰って何になる。男の素直な純情な愛と絶望が描かれている。ここは、妻に先立たれたらどうしようという不安を現代人も抱えているわけで、共感できる処だ。江戸も今も変わりはない。

 千鳥の恋は、肉欲的だ。「りんにょぎゃってくれめせ」、鹿児島の方言なのか、近松の創作言葉か、よく分からないが、なんとなく、「可愛がってね、情けをかけてね」と言っているのだと分かる。情けをかけて、とは女からセックスを求めているようで、これも江戸時代人は、ニンマリとしたに違いない。

千鳥は、町娘姿で登場するが、離島の海女である。成経は、千鳥を、海に入る時は上半身裸、腰布を付けているが、水に濡れると、透き通るとか、小鯛が餌と間違え、乳を吸いにくるとか、蛸が壺と思い込み、へそに潜り込もうとしたり、赤貝が太腿の間に挟まったりと、健康的で、エロさ百倍の女として語る。千鳥も、好きな人とセックスするのは当たり前、かわいがってね、とまで言う積極さである。俊寛の悲劇だけでは、長時間持たない。ここは間をもたせ、エロでつなごうという近松の意図が分かる。さらに自分の恋愛の対象ではない、千鳥の存在が、俊寛に決定的な影響を与える人物となるように仕立てている。

妻の死で、自分の愛をあきらめた俊寛は、千鳥の愛に未来を重ねる。千鳥も船に乗せろと主張する。断固として断る瀬尾、怒りに身を任せ、俊寛は瀬尾を切る。こうして犯罪を重ねた俊寛は島に残る事になる。島娘のラブロマンスが、俊寛の運命を決定的にする。近松の筋立てはうまいなと、感心する。

 舞台の終わりは、赦免船が出航し、岩場に俊寛が登り、見送る所で終わる。赦免船が来て、自分も赦免されると思ったら、自分は外されていた、さぞショックだったろう。丹左衛門に、あらためて赦免が許されたと聞いた時には、嬉しくて、飛び上がったはずだ。船には3人しか乗れない、自分の代わりに、千鳥を乗せてくれ、自分は島に残ると言った時には、これで思い切ったと思わせたが、望郷の念は捨てられない。岩場に登り赦免船を見送る俊寛、その時の気持ちはどうだったのだろう。俊寛役者の最後の、そして最高の演技のしどころである。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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