平成29年10月19日(木)『BS句会、片山由美子先生に二句並選、後は全滅』


BS句会に出席した。 今日提出した句は、以下の五句

行商の千葉のおばさん泥大根

百舌鳥の贄愛人すでに十九歳      片山由美子並選

秋扇や守り袋のバイアグラ       片山由美子並選

あの世へと続く花野や遍路道

禿頭やマロングラッセらしき顔


BS句会は、ひねりがないと駄目なので、なかなか難しい。私は、ストレートな、心の思い、叫びを俳句にしたいタイプなので、こじゃれた言葉を組み合わせて、何が何だか分からない句を作る気持ちにはなれない。作った句の、思いを、書いてみた。

行商の千葉のおばさん泥大根

この句は、先日本当に久し振りに、何十年ぶりに目黒駅で、背中に大きな荷背負ったおばさんをみたので詠んだ句である。その昔は、紺のチェック模様の野良着風の服を着て、下は、だぶだぶなモンペを履いていた。昔、五反田の家に、実際に野菜を売りに来ていた野菜売りのおばさんがいた。いつも同じ人だと記憶している。背中に背負った大きな箱の中に、たくさんの種類の野菜を入れ、行商に歩いた。多分、仲間で、テリトリーを決めて、何日か置きに訪ねて,野菜を売ったのだろう。朝とれた野菜を売りに来てくれたので、病気がちだった母親は重宝していたと思う。その野菜売りのおばさん達を五反田駅で、早朝、よく見た。階段に腰を下ろして休憩していた姿を思い出す。重い荷を、背中を曲げて運んでいたので、結構高齢の方が来ていたと思うが、今思え場、高齢では重い荷を背負えず、若い人だったのかもしれないが、行商のおばさんの金歯を見ると、若い印象はなかった。千葉県から売りに来ていたので、私たちは、野菜売りのおばさん達を、千葉のおばさんと、呼んでいた。まだ今でも、野菜を売りに、東京に来ている人もいて、とても懐かしい気持ちがした。

百舌鳥の贄愛人すでに十九歳   片山由美子並選

 今日の選者は、片山由美子先生で、席題は、19だった。この句は、以前作った、百舌鳥の贄愛人すでに40歳、の年齢部分を19歳に変えて出した安易な句だ。私が、66歳なので、若い愛人でも、もう40歳を超えているだろうから、当初40歳にしたのだが、これではインパクトが弱い。たまたま19という数字で句を作らないといけないので、こうしたが、19歳の方が、エロ差が増したし、すでに19歳だから、愛人になったのは、もっと早い年齢と連想させる。老いてますます盛んという笑いを狙ったが、三〇歳くらいの人が、一〇代の愛人を持つこともない訳ではないので、年齢不詳な句になったと思う。百舌鳥の贄という言葉から、結婚の対象ではなく、既婚者と言う事が分かる。愛人の、本妻にならない悲しさを読んだ句である。

秋扇や守り袋のバイアグラ    片山由美子並選

秋扇とは、秋に使う扇子ではなく、秋になり、もう使われなくなった扇の事である。鞄の中に、夏はずっと入れていた扇子だが、もう扇子を使わない季節になっても、忘れたように鞄の中に入れて持ち運ぶのが、毎年の常である。その鞄の中には、何故か御守り袋を入れている。そして、可能性があるかどうかは別にして、一つの自分のお守りとして、バイアグラを、一粒忍ばせている。いつ使うか分からないものが、鞄の中に、二つ入っている面白さを狙ってみた。ちなみに私は、お守り袋の中ではなく、サプリメントケースにあれを入れている。

あの世へと続く花野や遍路道

今回、中七に、やで止めて句を作る事になったので、考えた。完全にイメージの句で、写実ではない。愛媛県の松山に3年いて、八十八か所を回ったので、確かに、花の野中を走る遍路道もあった。殺伐とした遍路道が多い中で、実際にこういう道はあるが、イメージの世界の句だと思われるだろう。お遍路は、行き倒れて死んでもいいように、死に装束ヲ付けて、遍路をするのが、掟だ。へ遠路の覚悟、運命を予感して作ったが、BS句会では、ひねりがないので、誰も取ってはくれないと思うが、その通りだった。

禿頭やマロングラッセらしき顔

 東北地方に、自分の頭の禿げたのを自慢する大会があるのを、テレビで見た。髪がないので、どこが頭で、どこが顔なのか分からな、一瞬分からないお爺さんがいて、顔も禿げているように見えたものだ。おやつのマロングラッセを食べたとき、ふと、マロングラッセが、禿げ頭にみえたので、思わず作った句である。捻りを聞かせたくだと思ったが、誰も取ってくれなかった。 

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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