2016年3月11日(金)『歌舞伎座中村雀右衛門襲名披露夜の部。金閣寺、双蝶々曲輪日記の角力場,口上、関三奴』
歌舞伎座の3月は、中村雀右衛門襲名披露興行である。4世雀右衛門が、平成24年に死んで、まだ4年しかたっていないのに、早くも息子の芝雀が、5代目を襲名する。お目出度いにはお目出度いが、又五郎、雁治郎、雀右衛門と、このところ襲名披露興行が矢継ぎ早である。福助の歌右衛門襲名が、福助の病気で、無期延期となり、襲名の順番が狂ったのであろうが、松竹の歌舞伎経営の勝手な都合で、襲名が続く。昨今の襲名ラッシュで、客も慣れ切り、チケット代が、普段より高くなるため、襲名だから必ず行くという事にはならず、今日は、歌舞伎座は、満員とはなっていなかった。
先代の雀右衛門は、70,80台になって、大輪の花を咲かせた遅咲きの女形である。戦争に6年とられ、戦後七代目の幸四郎から、女形を勧められ、女形となった。若手花形の時代からの女形ではなく、相当歳をとってから女形になったので、本人は、集中的に、女形を研究したのだろう。女形は、歌舞伎役者としての生存をかけての戦いだったから、必死に勉強し、先輩や仲間の女形の芸を、よく見て、覚え、研究したのだろう。いつかは立て女形として活躍をすることを願いながら、歌右衛門の全盛の時代には、頭を押さえられ、活躍の場は、十分に与えられなかった。玉三郎が出てきてからは、年齢的に下の女形から突き上げられ、役が付かない。かなり厳しい状況に陥ったが、この間研鑽を積んできたのだろう、歌右衛門の死去で、満を持して、活躍の場を得て、短期間ではあるが、一気に、女形の第一人者になったのである。他の女形の芸を研究し尽くした結果が出たのだ。
先代の雀右衛門は、女形の情感、色っぽさが溢れていた女形であった。年齢を感じさせず、可愛くもあり、品もあり、情愛に溢れていた。この点、雀右衛門の息子である芝雀には、親の威光もあり、花形時代方から役が付いて、女形として、これまで来たので、大きな苦労はなかったと思う。ライバルは、同じ歳の時蔵、魁春しかいない。
では、芝雀は、女形としての、情愛溢れる演技をしているのだろうが、私には、芝雀の演技には、台詞で演技しているが、姿では演技していないのではないかと思っていた。演技に、心が入っていないので、言葉が空回りしているのである。その芝雀が、雀右衛門を襲名して、変身を遂げるのであろうか。
襲名披露興行に選ばれたのは、金閣寺の雪姫と、鎌倉三代記の時姫で、雪姫は、二度目の経験である、襲名狂言に、三姫の内、二つを選んだわけだが、華やかな娘道成寺位やってもいいと思ったのだが、芝雀としては、襲名興行だからこそ、三姫の内の二つをやり、足場を固めたいと思ったのかもしれない。雪姫は、歌右衛門の養子である魁春から教わったという。
その芝雀二回目の雪姫。最初、上手屋台の障子を引くと、雪姫が現れるのだが、先代雀右衛門が、そこにいるような錯覚を起こした。もちろん京屋の女形メイク、目にアイラインを入れ、頬に紅を多めにさす、強烈な京屋メイクをしているせいもあるが、雀右衛門は、父とは、顔の骨格が違い、頬もこけていないので、ふっくらとした顔立ちのはずなのに、先代雀右衛門がそこにいるように見えたのである。柱に寄りかかる姿は、腰をよく切り、楷書の芸だが、きちっとして、品格があり、情愛に溢れている。何より、ゆっくりと、身体を動かし、せかせかとしたところがない。セリフではなく、演技に心が入ったのかと思う。襲名披露の雀右衛門に、演技の神が降りたのだ。襲名マジックとは、こういう事なのかと、驚いたのである。先代の雀右衛門は、高齢のせいか、演技を満遍なく行うのではなく、適度に省略しながら、しかも大事なポイントを外さず、動きを単純化して、演技してきた。一方の芝雀は、満遍なく演技をするタイプであるが、今回見た雪姫は、演技が単純化され、意識が鮮明になったためか、余分な事をしなくなったのが、素晴らしい演技となったのだろうと思う。
昼の部の最初は、双蝶々曲輪日記の角力場である。濡髪は橋之助、長吉と与五郎は菊之助が二役で務めた。橋之助の濡髪は、大きくて、立派、貫禄もあり、当時の相撲界の最高峰の大関らしく見える。素人相撲で活躍していた米屋の放駒長吉が、大関の濡髪と対戦し、大関が、遊女吾妻を身請けする事を放駒に頼むため、わざと負けるという筋立てなのだが、例え江戸時代とはいえ、筋立てに無理がある。現代の大相撲では絶対にありえない、素人とプロの対戦、江戸時代の相撲興行であるから、まあこんな事もあるのだろうという事ではあるが、やや疑問が残る設定だ。福祉大相撲で見かける、子供との対戦の延長戦と思えば、そんなものかと思う事にしよう。ただ、江戸時代とはいっても、天下の大関が、素人と対戦して、一気に寄り切られることはあるまい。こんな 無様な負け方をしたら、木戸銭を払っている見物客は、許さないであろう。ともわれ、まあ、江戸時代の人形浄瑠璃から歌舞伎になった演目であるから、良い事にしよう。
長吉は菊之助、可愛すぎて、とても米屋の放蕩息子、生意気盛りの若者に見えない。可愛く演じる必要はないと思うのだが、綺麗な顔立ちの菊之助が演じると、可愛く見えてしまう。貫禄の大関に、素人相撲の放駒、二つのキャラクター設計で、一方を、若く可愛い、少年のイメージで、造形したのだろうが、ここは、生意気盛りの、世間知らずの、不良少年というキャラクターで、ぶつけるべきであろうに、菊之助には、その不良性が、全く感じられない。後になり、わざと負けたと聞いて、怒り狂うのだが、美少年では、ここが効かなくなる。二役の、若旦那の与五郎は、いわゆる、つっころばし、と呼ばれる役、大阪弁は、心もとないが、濡髪贔屓の若旦那の雰囲気は出ていて、ジャラジャラとした所を、これでもかこれでもかと、突っ込んで演じて、楽しい。贔屓の濡髪の贔屓だという茶屋の主人に、小銭、財布、羽織を与える所の可笑しみも、よく出していたが、濡髪の着物を着て、茶屋の主人と、くるまって歩くところは、無理を感じた。これは、台本が良くない、どうでもいいところを引っ張り過ぎる。
口上は、病気欠場の菊五郎の出演はなし、【13日から復帰したという】吉右衛門、仁左衛門、梅玉、幸四郎、藤十郎、魁春、時蔵が揃い、豪華であるが、藤十郎は、挨拶の文章を紙に書いて、読むだけだったし,口上だけの出演だった我當の衰え振りは衝撃だった。後見人が、背後にぴたりといたが、挨拶はやっとで、顔は、先代の仁左衛門そっくりだが、痩せて、顔が歪んでいて、死期が近い感じがして、気の毒だった。菊五郎が、病気休演で、口上にも出てこないのが、寂しかった。松緑が口上に出ているのに、菊之助が、菊五郎の代わりに、出てこないとは、いかがかと思った。勘九郎も口上に出ず、このあたりの松竹の匙加減が、よく分からない。
最後は、関三奴、雁治郎、勘九郎、松緑の踊り、奴の踊りは面白かった、松緑のメイクが可笑しくて笑ったが踊りは、流派が違うので、比較のしようがないが、素人目で見て、松緑の踊りは、余裕があり、柔らかく、上手いと感じた。
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