2016年1月3日(日)『浅草花形歌舞伎昼の部』

 毎年恒例の浅草公会堂の花形歌舞伎。今回は、尾上松也を中心とした座組みで、上置きに、中村錦之助で、座頭は尾上松也である。松也の与三郎が見たくて、チケットを取ったようなものだ。浅草は、三が日という事もあり、人手がすごかった。中国人、朝鮮人に加えて、西洋人も多く、驚いた。

 浅草の花形歌舞伎も観に行くようになって、どの位だろうか。そういえば、勘三郎、三津五郎も出演していたっけ。今回は、松也、米吉、国生、巳之助、新俉、隼人らの出演である。はっきり言って若い、若すぎる。金をとって見せる芸である。学芸会にならねばいいがと思いながら観に行った。

 三人吉三巴白浪は、お嬢が隼人、お坊が巳之助、和尚が錦之助、錦之助はセリフがまだ覚えきれておらず、七五調も黙阿弥の音韻のリズムを崩し、心地よくセリフが耳に入らず、若手の足を引っ張り、戦犯である。隼人のお譲吉三は、一言で言えば、学芸会であった。女形になっておらず、セリフも固く、七五調のセリフ回しが気持ちよくない。せっかくの名セリフなのに、名セリフに浸れない。女の成りをしていても、男が消されていないから、面白くない。綺麗ななりをした娘さんが、男の言葉を操ったかと思ったらいきなり盗賊になり、夜鷹から100両を奪い、隅田川に蹴落して殺してしまう。女装の盗賊が、女になり切って優しい言葉をかけ、いきなり本性を現し、男言葉の盗賊になり、百両奪い、再びしました女に戻ると言う、短時間の一瞬のセクシュアルな変化が、本来は面白いはずなのに、少しも、面白くない。隼人の女形は、男を消せない稚拙な演技で、男を消せない位なら、この役は断るべきだろう。隼人は美形ではるが、あくまで、ジャニーズ系の男の美形であり、鼻が高く、顔が立体的な造りだから、地顔が消せず、女顔になっていない。お坊吉三に呼び止められて、再び、女形のまま女にたち戻り、やり過ごそうとするが、ここも、女に切り替えることができないので、倒錯のドラマが薄い。私は、学芸会を見ているように思えた。

巳之助のお坊吉三も、メイクが悪いせいか、顔が長く見え、もともと美形ではないが、お嬢吉三と男色関係になるようには、少しも見えない。親父の三津五郎は、花形の時から、凛とした美形であったが、親に似ないで、残念である。「月も朧に白魚の、篝もかすむ春の空 冷てえ風にほろ酔いの 心持よくうかうかと」、名セリフを陶然として聞きたいものである。

 二つ目は、土佐絵、清本の舞踊で、いわゆる鞘当ての舞踊化であるが、二人の美男が、美しい傾城を争うというシーンなのだが、大衆演芸風の国生はまだしも、巳之助、新俉が、そろってブサメンで、話にならない。芸の力がないのだから、見た目の美しさが欲しい。若手花形は、美しさが勝負なのだが、それがないので、アウトである。これも学芸会レベルと思った。

 さて、今日のお楽しみは、与話情浮名横櫛の松也の与三郎、ただお富が、なんと若手の米吉なんで、バランスが取れるか心配だったが、米吉が色っぽく、堂々とお富を演じていたので、美男の松也と、相性がぴたりで、いい芝居だった。米吉は、けっして玉三郎のような絶世の美女タイプではないが、目が垂れ目気味で、笑い顔で、お姫役はニンではないが、町娘役は、ニンがある。お富のような、ベテランの芸者で、恋多き役は、荷が重いかなと思ったが、表情に変化があり、特に、蝙蝠安から、強請られて、イラつくところや、化粧しながら、番頭が言い寄る時の、かわし方、馬鹿にした時に、浮かべる表情は、上手いなと思った。さて松也は、美男で、与三郎にぴたりのニンだ。大店の息子である気品、お富との愛が破局してからの、陰のある暗い人生、強請った女がお富と知った時に、怒涛の一気の怒り、強請っても、上品さを失わない態度は、綺麗な芝居で、満足した。お富、与三郎、美しい二人だったなと、気持ちを残して、浅草を去る事ができた。白塗りの綺麗な顔、むっちりした、ちょっと脂肪が乗った肢体、胸の乳首が、ちょっとたち、色っぽい。これぞ花形だ。褌の下にアンダーを付けていたが、これではエロっぽさが消える。エロ差も、歌舞伎の重要な要素である。歌舞伎は、美しさを楽しみに観に行くものものなので、松也の美しさは、重要なファクターである。海老蔵に並ぶ、美男の立ち役に、将来の成長が、楽しみである。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

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