令和3年11月4日(木)『歌舞伎座1部、神の島、井伊大老』

歌舞伎座の11月は、顔見世大歌舞伎、一部は、神の島と井伊大老の二本。神の島は舞踊劇で、コウノトリを素材にして歌舞伎へのオマーシュとして作ったと、作演出の水口一夫さんは語っているが、意図がよく分からなかった。神前で、赤松満祐が天下を狙い、大願成就の願いを成就するために、コウノトリを生贄として捧げようとしている。ここに、狂言師右近と左近が訪れ、奉納の舞を披露し、生贄になろうとしているコウノトリを逃そうとする。右近と左近は、生贄のコウノトリの親だったのだ。それを見て取った赤松は、右近左近を殺そうとするが、ここで、まるで歌舞伎の暫のような存在の、山中鹿之助が登場して、コウノトリの親子を助けるという筋だ。弱い者が、殺される寸前に、助けに入る者がいて、それが暫に似ている存在と言う事が、歌舞伎へのオマージュなのだと、少し納得した。国崩しの赤松満祐を東蔵が演じていたが、老け女形の東蔵には難しく、悪の強さはなかった。東蔵さんは器用な役者だが、悪役起用には、無理があると思った。

井伊大老は、何回か見てきたが、暗殺前夜の一日を描いた場面だけの公演である。舞台を見る側の人間は、この日の翌日には、桜田門外の変が起こる事を知っているので、彦根藩主となる前、埋もれ木舎の時代からの愛妾であるお靜の方との、若い頃の回顧話しは心を打ち、しっとりとして、寂しさがあり、ほのかに死の予感もあり、白鸚、魁春は、好演していたと思う。でもこの幕だけでは、井伊大老の心労は、描き切れなかったように思う。