令和3年10月14日(木)『国立劇場で伊勢音頭恋寝刃を見る』

梅玉の芝居は、淡白に見える。ニンと異なることはせず、坦々と、自然体で演技をする。芝居を観ていると、やる気があるのかどうか分からないようにも見える。伊勢の御師は、旅行のガイドで、ツアーコンダクターである。たくさんの人を伊勢神宮に案内し、主食を提供し、時には女も提供する仕事で、口八丁手八丁の人物像である。その御師が、おっとりとして、靜かな佇まいな、まるでお公家さんの様に演じていいのか疑問がある。二見ヶ浦の場で、日の出の太陽にかざして、手紙を読んで、黒幕は徳島岩次とわかってからは、感情が表に出て来て、安心した。と同時の日の出に手紙をかざして読む立ち姿が、艶っぽくて、やわらかくて、美しいのにも驚いた。万野に弄られるところは、ウケの芝居で辛いところだが、内面に、いらいらと、怒りが燃えてくるようで、ついには切れて、万野を呼べと叫ぶところは、切れながらも、立ち姿は美しさを保っていた。見得をするわけではなく、単なる立ち姿のポーズで、ちょっとの時間、間を取るだけなのだが、思わずコロナ禍でなければ、大向こうの声を掛けたいところだ。梅玉は、こういうところで、芝居をする人なのだと確信した。伊勢の妖刀、葵下坂に魅せられて、次々と殺していく、シーンは、残念だが、殺気は感じられなかった。刀の魔力で、刀が勝手に動いて、人を斬っているように感じた。殺意がないから、刀と折紙が揃えば、人を何人斬っても、罪の意識は感じないのだ。

鈴木桂一郎アナウンス事務所

ニュース, ナレーション, 司会, 歌舞伎, お茶, 俳句, 着物, 元NHKアナウンサー